「120歳の映画」
   平野勇治(名古屋シネマテーク スタッフ)

 1895年12月28日、リュミエール兄弟は「シネマトグラフ」を初めて一般公開した。お披露目された「シネマトグラフ」は、暗闇の中で、複数の観客が、眼前のスクリーンに拡大投影された動く映像を見る、というものだった。現在の映画館での映画鑑賞のあり方と同じ形態である。この日が映画の誕生日として広く認知されているのも、そうした100年以上に及ぶ映画の見られ方の歴史あってのことだろう。

 だが近年、映画の見られ方は大きく変わってきた。スマートフォンの登場によって、映画はついに掌に乗った液晶画面でも見られるモノになった。物心ついたときから掌で映画を見た人たちが増えれば、それこそが「映画」と認識される日も遠くない。そうなると、リュミエールの「シネマトグラフ」が最初の映画だと言うことも難しくなるだろう。箱の中の映像を一人ずつ拡大鏡を通して覗き見たエジソンの「キネトスコープ」こそ最初の映画であり、キネトスコープ・パーラーがオープンした1894年4月14日が映画の誕生日である。そう歴史が書き変えられる日も来るかもしれない。歴史は、後世の検証やら都合やらによって変わっていくものだから。

 とはいえ、映画館で日々働いている者の立場からすれば、そう簡単にエジソン派に鞍替えするのも癪だ。だから映画館の未来について、少し考えてみたい。それも、我々のいるミニシアターの未来について。

 ……と書き始めたところで、早々に自分自身から異論が出る。そもそも、リュミエールもエジソンも「映画」イコール「フィルム」だったじゃないか。少し前には、お前もフィルムからデジタルへの移行について悲観的なことを書いていたろう。それは、どうなった??……たしかに。当劇場も2014年3月にデジタル映写機を導入し、以後ほとんどの作品をデジタルで上映しているが、あまりにも短期間でのデジタル化に、納得できない気持ちは消えていない。デジタルがフィルムより優れているかと問われれば、良いところもあるし、そうでないところもある、と答えるだろう。その意味で、本来フィルムとデジタルは共存すべきだった。それが、完全にデジタルに振り切れたのは、その画面の質において「掌の映画」と「映画館の映画」を、近づけることに加担しただけではという思いはある。

 いやいや、だから映画館の映画は、さらに高画質、高音質になって、画面からモノがどんどん飛び出してきたりするんでしょ?……これまた、たしかに。業界では、レーザー光線で映写するシステムがすでに商品化され、どうせ5、6年で買い変えになるデジタル映写機の次世代として待機中だ。シネコンは、それでいいのかもしれない。だが、我々もそんな次元でやっていくのだろうか?当館でも画質・音質の向上を心がけてはいるが、まぁ予算的にレーザー映写機は買えないだろう(笑)。それに思い描きたい未来が、そこにないのは確かだ。

 では、何があるのか? 一概には言えないが、ひとつは「異質なもの」を提示し続けることではないか。この冬の洋画興行は、「007」vs「スター・ウォーズ」の決戦だと言われる。それはそれで楽しそうだが、1980年代のある年の話といっても通りそうだ。この2大作が示していることを思いきり単純化して言えば、シネコンはお約束の中での新機軸という楽しさを提供する。ならばミニシアターは、お約束の外側にあるものを上映していくことが必要だろう。それは、映画の相貌の異質さかもしれないし、映画の文化的背景の異質さかもしれない。他者性への不寛容が目立ってきた昨今、異質なものへの関心と共感を呼び起こす映画こそ、スクリーンに映し出される意味がある。いや、意味とかいう以前に、「そういう映画を見たい」という個人的欲望でもあるのだが。1月に公開する劇映画『禁じられた歌声』は、その典型的な一本だ。本作は、イスラム過激派に制圧されたマリ共和国の街ティンブクトゥを舞台に、監視され、理不尽な懲罰によって支配される人々の日々を描いた、モーリタニア出身監督の作品だ。監督の故郷への愛惜がにじむ美しい映像が素晴らしいが、その中で、何故このような悲劇が生まれるのかが真摯に問いかけられる。その問いは、現実で多発するイスラム過激派による無差別的な攻撃とも結びつくだろう。「異質なもの」は、その異質さの中に我々への「問い」を自ずと内包している。

 こうした異質なもの、問いを発するものを、こつこつと、劇場の体力を保ちながら上映していく中で、ミニシアターの未来を考えていくのが、120歳を迎えた映画へのささやかな返礼だと思う。もちろんフィルム上映も、出来る限り続けたい。来年はいくつか企画しているので、お楽しみに。