映画『名もなき塀の中の王』
            豆小町

 いきなりですが……関係者の皆さま、『名もなき塀の中の王』などと、気取った日本語タイトルをつけてる場合じゃないでしょう(苦笑)。クールを売りに、従来の刑務所映画と差別化したい気持ちもわからなくもないが、それは撮影や演出などの技術面によって立ち上る空気感であり、むしろドラマは非常に泥臭くウェットで、娯楽のフォーマットもキチンと押さえられている。要は、めちゃくちゃ面白いのである。原題の「Starred up」とは刑務所用語で、少年刑務所から成人の刑務所に昇格(!)するシステムの名称だとか。映画は、晴れて(!)囚人のメジャーリーグへ移送された少年エリックの監獄サバイバルライフを描く。

 確かに、音楽なし、女っ気なし、笑顔なしの三拍子で進行し、そのうえ舞台となる場所が場所だけにやたらと緊張度は高い。ただし、閉じた特殊空間だから、リアリティにこだわれば、やれることは自ずと限られる。とりあえずカーチェイスはできないものね(笑)。ところが本作は、「まさか……」と意表を突かれることばかりでボケボケしていられない。もちろんコメディでもない。まず、主役のエリック(ジャック・オコンネル)は、19歳にして21歳以上が対象の刑務所へ入所するわけですよ。つまり飛び級!どうやらかなりのワルらしい。その片鱗は入所早々派手にお披露目される。独房に放り込まれるやいなや、髭剃りと歯ブラシでオリジナルの武器を拵え、メジャーリーガーたちと渡り合えるよう筋トレして自己鍛錬に余念なし。異様に勤勉(笑)。身体をフルにセンサー化し、戦闘態勢を整えている様はモロ劇画調で、男性諸氏には間違いなくウケるだろう。ちなみにそんなキッレキレな少年のフルネームはエリック・ラブ♥梶原一騎先生が名付け親か!と突っ込みたくなるネーミングに思わず笑った。

 次に、2人の男がラブくんに近寄る。1人は中年の古株囚人で、こいつもラブくん!ネビル・ラブ(ベン・メンデルソーン)と云う名で、何と5歳の時に生き別れた実の父親とムショで再会するのだ。父はすぐさま息子の監視役となり、秩序を守って大人しく勤めあげろとアドバイス……新種の親心に驚くが、一方でエリックはこのろくでなしなオヤジと会いたいあまり意識的に凶暴化し、Starred upされるように仕組んだのだ。見事な捻じれっぷりだが、映画はこれもまた一つの愛の在り方として描く。しかもこのお父さん、同性愛者なんだよね……(汗)。ラブ家の親子二代の運命、凄すぎます。

 そしてもう1人、エリックに絡む人物が、ボランティアで囚人たちの更正に取り組むカウンセラーのオリバー(ルパート・フレンド)だ。増殖し続ける暴力性を自分の意思でコントロールできるようになれば、人は新たな人生に踏み出せると信じてやまない理想家のインテリ。そう、迷える子羊に慈悲深き手を差し伸べ、暴力が唯一の拠り所だったエリックの緊張を、少しずつほぐして行くのである。はい、お馴染みの地獄に灯る一筋の光ってやつです。しかしここにも行く手を阻む見えない力が支配する。オリバーの地道なグループ療法は合理性に欠けるため、暴力には暴力で手っ取り早く管理したい体制側との対立があり、その構図は資本主義世界の縮図に見える。刑務所組織を存続させるためには、更正の必要なしとまで考える体制側の意図が浮び上がり、一体どうすりゃいいんだ!ってところまで、映画は踏み込む。そしてピリピリ張りつめた硬派な背景と併せて、絵に描いたような冷酷無比な看守や牢名主的支配者が脇できっちりドラマを盛り立て、一瞬たりともダレることはない。股間にかぶりついたり、お尻から携帯電話が出てきたり(!)、意表を突くアクションシーンの数々に、頭クラクラしちゃったしね。面白すぎてかえってビビッた……人間は身体一つでここまで立ち回れるものなのかと──。でも最も目を引いたのは、グループ療法のシーンで、多国籍な囚人たちが繰り広げる一発触発の気配だった。暴力に形を変える寸前の、個々の身体に蓄積された怒りのマグマが可視化され、その迫力はスクリーンを飛び越えて我々の足元まで届く。具体的な殴り合いシーンより恐ろしいものを浴びた気がしたのだ。キレる原因を究明したところでどうにもならない……、個人の業の問題と単純に処理もできない……、もはや人間の長い長い闘いの歴史としか例えようのない事実をのぞいてしまった感覚──。映画のホンキ度は、私の想像以上に高かった。

 息が詰まるテーマに狙いを定めながらも、劇映画で語ることの有効性に確信を持つ監督デヴィッド・マッケンジー。要注目作家の1人として記憶しておきたい。