バスキアのすべて
●バスキアのすべて Jean-Michel Basquiat:The Radiant Child 1970年代も終わる頃、若手アーティストが集まるNYダウンタウンの壁面がポエティックな落書きで埋められ、美術関係者の評判となる。そのラディカルなグラフィティの創作者こそ、後に世界的な画家へと転身するジャン=ミシェル・バスキア(1960〜1988)だった。現代美術界に現れた寵児として瞬く間にスターの座を駆け上り、絶大な人気と栄誉を得るが、共作も手がけた友人A・ウォーホルの死後は奇行を重ね、薬物中毒で急死。享年27歳で2000近い絵画とドローイングを残す。生誕50年の本年、パリ市立近代美術館などの大規模回顧展で話題を呼ぶ。バスキアは、『DOWNTOWN 81』や美術家J・シュナーベル監督作の劇映画でも知られるが、本作は、監督自身が新進気鋭のバスキアとの間で行ない、没後封印していたプライベート取材映像を軸にした初のドキュメンタリー映画。80年代の現代美術史を背景に、その稀有な表現へと真摯に迫っていく。楽しく、そして感情を揺さぶる傑作だ。93分。



対談『バスキアのすべて』
 いとうたかお(シンガー・ソングライター)
 森田 裕(ライヴハウスTOKUZO店主/ミュージシャン)


いとう(以下、I)ジャン=ミシェル・バスキアの作品を知ったのは、バスキアが亡くなった後でした。ある人に画集を見せてもらって。その人は、地方で家業を継ぐため音楽の仕事はすでに辞めていた、ボクにとってはいわば先輩みたいに歳上の人だった。グラフィティ(落書き)という手法の、美術での位置づけは当時よく解らなかったけど、変わった絵だなぁ、という第一印象が強くて。

森田(以下、M) この映画を見て面白かったのは、そんな風に人の記憶に強く残る作品をたくさん鑑賞させてくれると同時に、彼のペインティングやグラフィティ・アートに敬意を捧げるようなスタイルでドキュメンタリーを構成していること。冒頭でラングストン・ヒューズ(1902〜67。ハーレムの黒人文学復興シーンから生まれた米国の詩人)の詩を静かに引用し、一転して、バスキアが好んで聴いたビバップの、楽しい「ソルト・ピーナッツ」の演奏に、リラックスしたバスキアの記録映像や、言葉や絵画作品をコラージュしたタイトル・クレジット。監督の思いを感じたなぁ。引用されるヒューズの詩もすごいよね、〈やさしく歌え 荒々しい歌だから〉とか。……何か、さっきからほくそ笑んでるけど、ヒューズ、読んでますよね?

I もともと高田渡の歌詞を通して知り、詩集を読みました。その高田さんはかつてボクのステージ中、客席の一隅で「何が悲しくてそんなに叫ぶのかねぇ(観客爆笑)」と。

M 大きなお世話じゃ!(笑)

I 〜やさしく歌え、ガナるんじゃないよ〜 と。今、急に思い出してしまって。引用されるヒューズの詩は〈天才児を愛する者はいない 鷲を愛することができるか?〉と歌っているけど、バスキアがニューヨークのグループ展で注目され始めた当時、もちろんその頃は、バスキアのことを知らなかったけど、ボクは1981年の9月に2〜3週間マンハッタンの友人のアパートに泊めてもらったんだよね。……で、その時画廊の集まる地域へ行ってはみたけど、とても立ち寄り難く感じて、中に入れなかった。まあ尻込みしたんだけどね。今にして思うのは、どこに行っても、人に出会わなければ無意味なんじゃないかと思うんだよね。バスキアとアンディ・ウォーホルの共作も、美術史の事件としてだけでなく、むしろ人と人との深い繋がりの中で刺激し、嫉妬をし合ったり、共鳴し合ったりしたのではないだろうか。

M ウォーホルの死は、バスキア自身の死に影を落としたと思う。親しい人たちの死は、自分自身の死についても考えさせられてしまう。バスキアの晩年、といっても27歳だけど、その頃の作品って、僕にとっては、肉筆というものの存在感が強烈にあって、とても『絵画』的だ!と今回、感じさせられた。作家自らの制作プロセスが面白い現代美術作品って多いけど。作家が死んだら作品も消滅してしまうのでは、と思わせられる、ああいう作品とはまた違った強度を感じるね。

I 初期の作品は、むしろ、絵画じゃないものを目指していたようにも感じられる。描いたものをまた、消して、とか。面白いよね。ところで、有名になりたがっていたというバスキアの野心が語られてるけど、その結果である富とか名誉は、実はどうでも良かったんじゃないかという気がする。

M グラフィティというのは、ストリートのHIPHOP文化の要素でもあって、初期の彼には、アート系サークルの名声には違和感が有ったかも。この映画では、バスキアの作品から、クレオール系黒人というだけでない、もっと複雑な内面をひき出していると思う。1980年代前半は、例えば映画監督のスパイク・リーが、バスキアと同じくNYのブルックリンの中産階級の黒人コミュニティの出身だけど、70年代以前の人種的なカウンター・カルチュアとは異なる、個人の内面の探求を描いている。音楽では、70年代までにジャズやブルース、モータウンやレゲエがコミュニティから生まれ、スターを生んだけど、映画や美術で世界中に名を知られる黒人はまだいなくて、80年代は機が熟したともいえるのだけど。でも、一人の音楽家、一人の映画監督、一人のアーティストとしてその才能が社会で注目され名声を得ると、たとえゲットーを感じさせない世代や、別のコミュニティ出身者であっても、黒人であることを、社会から突きつけられてしまう。

I 権威的な、ある種のメディアの悪意があったんだろうね。ユダヤ系のボブ・ディランは、若干20歳位でキツい取材に、平然というか、それ以上の姿勢でうち勝っていたけど。肌の色と芸術について否定的な取材をするって、何なんだろう。そもそも鏡がなければ、自分の顔なんか認識できないのに、他者から測られるというのは。

 この映画は同時に、作品に関わるコレクター、ギャラリーや美術館、美術批評が美術家を生み出していく資本主義的な過程を見せていく。でも、ボクが映画を見て痛切に思ったのは、重要なのは、何のために描いているのかで、それを描いている本人が理解しているかどうか。あとは、受け取る側の問題ではないかと、むしろバスキアから問い返されているのだということだった。

(2010年11月24日 文責=編集部)


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会 員 1300円

当館窓口にて前売券をお求めの方、オリジナルステッカーをプレゼントします。(数量限定)
※前売券販売は公開前日までです。
オフィシャルサイト

監督・製作・撮影 タムラ・デイヴィス
製作・撮影 デイビッド・コウ
製作・編集 アレキシス・マンヤ・スプライック
製作 リリー・ブライト、スタンレー・バクサル
製作総指揮 マヤ・ホフマン
撮影 ハリー・ゲラー
音楽 ジョシュア・ラルフ、アダム・ホロヴィッツ、マイク ・ダイヤモンド
出演 ジャン=ミシェル・バスキア、ジュリアン・シュナーベル、アンディ・ウォーホル、ラリー・ガゴシアン、ブルーノ・ビショフベルガー、トニー・シャフラジ、ファブ・5・フレディ、ジェフリー・ダイチ、グレン・オブライアン、マリポール、カイ・エリック、ニコラス・タイラー、マイケル・ホールマン、ディエゴ・コルテス、アニナ・ノセイ、スザンヌ・マロック、レン・リチャード、ケニー・シャーフ、サーストン・ムーア、ネルソン・ジョージ、エリカ・ベル 他

2010年 93分