日本映画 あなぁきぃ列伝 2


○8年ぶりに「日本映画あなぁきぃ列伝」が復活する。今回も前回同様、大島渚監督と足立正生監督の作品が登場し、当館初上映となる大和屋竺監督の作品がそれに加わる。何れの作品も作家の個性が全面に噴出しているので、面白い組み合わせになっていると思う。
 尚、最初に上映する『鎖陰』は後々の評論等で、足立監督個人の作品だと思われがちだが、日大新映研の数人の学生たちによる共同監督作品である。当時の自主映画だ。今作られている自主映画と(もちろん時代も状況も変わっているが)比べてみるのも面白い。今回の作品群を企画するにあたって、映画評論家佐藤重臣氏が編集長時代('66〜'74年)の映画雑誌「映画評論」を参考資料として読んだ。唐十郎、種村季弘そして足立正生の各氏という今ではとても考えられない組み合わせの座談会“メケ文化とマニエリスム”が2号にわたって載ったりもするすごい雑誌だ。当時で言うアングラ映画、演劇から商業映画まで幅広い分野の作品評価が並んでいる。なかでも重臣氏の批評は、まるで映画と性交するがごとく、作品に愛情を込めて接し、また、権威的なものとは対峙し、時にはアナーキーな言説を覗かせながらも、あくまで読者と映画の快楽をわかち合おうとしていて心地いい。
 その故佐藤重臣氏の60年代から80年代にかけての評論集が、ワイズ出版より刊行された。題して『祭よ、甦えれ!』。今村昌平、大島渚、ブニュエル、アルドリッチ、コーマン、そしてメカス、ケネス・アンガー監督他についての映画論や、芸術論、状況論、そして映画関係ゴシップ記事満載の痛快な書である。重臣氏亡き後、10年が過ぎようとしているが、果して、祭りは甦えるのか? 読む価値ありの一冊である。

●鎖陰
 日大新映画研究会の足立正生ら無名の人々が'60年安保の挫折を、“鎖陰”と呼ばれる陰部が欠落した女子学生に仮託して、'60年代前期の閉塞状況への焦立ちを鮮烈な映像で描いた作品。男は彼女を湯舟で犬の性交のように抱く。「犬みたいだ」という彼女をよそに、「自分は満足している」と答える男。彼女はナイフで自ら陰部を造ろうとするが。バタイユ的な生と死のイメージが錯綜し、ショッキングシーンが連続!56分。

●銀河系
 一人の男Mはさだかでない未来を志向するために、己の過去をさかのぼろうと、魂のなりたちの原初的な形である幼児体験をたぐりよせる。子守歌が聞こえ始めるがやがてそれは恐怖のメロディーへと変化し、飢餓童絵巻へとつながっていく。足立は自我というなんとも怪奇に満ちた人間の属性を文明の中に浮遊させ、その存在のなにかを映像でとらえようと試みる。75分。

●荒野のダッチワイフ
 処女作「裏切りの季節」の耽美性を買われ、若松プロからピンク映画の本山、国映に出向して大和屋が撮った第二作。風采のあがらない殺し屋が町の有力者に雇われるが狙う相手は自分の女を殺した仇でもあった。殺し屋のシュールな妄想の連続は清順の呪われた傑作『殺しの烙印』の延長線にある。山下洋輔らによる音楽も秀逸。麿赤児他出演。75分。

●新宿泥棒日記
 '70年安保闘争真っ盛りの新宿を舞台に、本を万引きする青年(横尾忠則)と少女(横山リエ)が、騒乱を予言する男に導かれ、恍惚感を求め街を彷徨い歩く。現代に真のエクスタシーは存在するのかという問題が随所に追及される。手持ちカメラによる映像が劇映画的虚構性を排除し、真の虚構を打ち立てようとする大島の問題作。脚本足立正生他。唐十郎も出演。94分。