ル・アーヴルの靴みがき
●ル・アーヴルの靴みがき Le Havre 『浮き雲』('96年)『過去のない男』('02年)などで知られるフィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督。『街のあかり』以来5年ぶりとなる新作は、ヨーロッパの難民問題を物語のベースに置きながら、変わることのない温かい眼差しで人間を見つめた、珠玉の傑作だ。
 ノルマンディー地方の港町ル・アーヴル。クロード・モネが描いたことでも名高いこの町で、マルセルと妻のアルレッティは暮らしている。かつてはパリでボヘミアン的日々を送っていたマルセルだが、今はベトナム人の青年を助手に、靴みがきで生計を立てていた。稼ぎはわずかだが、妻の深い愛情に支えられ、充実した毎日だ。そんな中、アルレッティが突然の病に倒れ、入院してしまう。愛犬ライカとともに寂しく帰りを待つマルセル。ちょうどその頃、港にアフリカから不審な船が到着。コンテナを開けると、疲れきった難民たちが乗っていた。その中の少年イドリッサが、やがてマルセルの人生を大きく左右することに……。
 出演=アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・レオー他。奇跡の93分。



◇評論 『ル・アーヴルの靴みがき』
          安住 恭子

 ご存じのようにアキ・カウリスマキの映画は、低階層の人間を描くことが多い。けれどもそれらの人は、決してみじめでも卑屈でもないし、やさぐれても虚無的でもない。日本人の好きなつつましさとも無縁で、その場で堂々と生きている。この人間像はカウリスマキ独特のもので、清潔な気高さがある。それはそうした人間を見る彼の目差しに慈愛があるからだ。冷酷ともいえるクールさに隠した慈愛が。そして初期の作品では、そのような人間がその姿のまま、つるべ落としの不幸にあうのだが、最近の彼の映画では彼らにある小さな愛の奇跡が起こるようになってきた。
 今回の『ル・アーヴルの靴みがき』でカウリスマキは、その路線をさらに一歩推し進めたようだ。靴磨き(今どき!)の男を主人公に、愛の奇跡が起こるさまを臆面もなく堂々と描いたからだ。といってももちろん、甘ったるいファンタジーではない。彼の奇跡は苦い現実の裏返し、影絵である。フランスの北辺ノルマンディーの港町を舞台に、寒々とした風景と無愛想な展開は相変わらずだ。そこから生まれるユーモアもまた。
 一言でいえば、国境とは何か、人はそれを越えられないのか、という問題である。そしてカウリスマキは、いや越えられるはずだ、という。
 「靴磨きと羊飼いは神に最も近い人間」という信念のマルセルは、堂々と仕事をし、愛する妻とのささやかな暮らしに満ち足りている。その彼が一人の少年を匿うことになる。少年はアフリカから密入国し、逮捕される間際に逃亡したのだ。少年はロンドンにいる母親のもとに行きたいと思っている。マルセルはそれを実現させようと、磨いた靴で一歩一歩歩き始める。一方妻は不治の病で入院する──。
 背景にはフランスの移民の問題があるが、その排除の暴力性を描きつつ、カウリスマキはいくつかの小さなエピソードを重ねて、国境は越えられるはずだとささやいていく。そもそもマルセルの妻は移民で、彼が溝にはまっているところを助けてくれた。同じようにアフリカの少年は、湾に潜んでいてマルセルに発見される。また彼が毎晩通う安酒場では、労働者達が文化の違いなどたいしたもんじゃねえと語り合っている。ノルマンディーはもともとケルト民族の地で、他の文化が混じった土地柄だ。マルセルの苗字もマルクスである。さらに少年を初め密航者達は、フランスの支配を示して、フランス語を話すのだ。
 カウリスマキはまた、大写しの顔によってそのことを示す。コンテナに潜んでいた密航者達が警察に発見されたときの顔、顔、顔。音のないこのシーンは、人間の尊厳を無言の内に伝えて、この映画のハイライトの一つだ。そして少年を助けるマルセルに協力する、近所のパン屋の女将や八百屋の旦那、安酒場のマダム、一緒に靴磨きをしているベトナムからの密航者チャンらも、実に味のあるいい顔をしている。
 そもそもマルセルの顔がいい。客を待って立っている威厳ある柔和な顔に始まり、「今帰ったよ」と妻にいう慈愛に満ちた顔。妻もまたしっかりとその目差しを見つめ返す。カウリスマキがこれほど多くの人物の顔を肯定的に描いたのも珍しい。そのことがこの映画に、一種の優しさと柔らかさを与えた。これは顔の映画といえるかもしれない。少年を追う渋い刑事と、ジャン=ピエール・レオー演じる密告者の顔がわさびとなって、その美味さを引き立てる。
 そして、アンドレ・ウィルムと、カウリスマキのミューズ、カティ・オウティネン演じる夫婦の慈愛が、奇跡を起こすのだ。それは少年を無事、ロンドンに送り出すことだが、その運びはスリルに満ちながら次第に古典的喜劇のタッチになり、軽やかに運んでいく。刑事が奇跡に一役買うのも古典的だ。そしておなじみの、寒々しくも楽しいコンサートと守護神のような犬。カウリスマキの屈折した慈愛がここにもある。
最後の最後にもう一つの大きな奇跡が待っている。それは見てのお楽しみだが、そこまで見て、この物語が聖書を下敷きにしていたと思い当たる。さらにそのあとには、カウリスマキの日本好き、日本的教養ににんまりさせられる。マルセルは絶えずタバコを吸っている。刑事は高級ワインとカルヴァドスしか飲まない。そんな嗜好もまた、私好みである。(評論家)






2012
4/28(土)
〜5/4(金)

10:40
14:50
16:40
18:30

5/5(土)
〜5/11(金)

13:05
16:10
18:30

5/12(土)
〜5/18(金)

10:40
18:30

5/19(土)
〜5/25(金)

14:50

 

前売券
※前売券販売は4/27(金)までです。
一 般 1400円
大学生 1400円
会 員 1200円
当日券
一 般 1700円
大学生 1500円
シニア 1000円
中高予 1200円
会 員 1300円

 
オフィシャルサイト

監督・脚本・プロデューサー アキ・カウリスマキ
助監督・キャスティング ジル・シャルマン
撮影 ティモ・サルミネン
照明 オッリ・ヴァルヤ
録音 テロ・マルムベルグ
美術 ヴァウター・ズーン
衣装 フレッド・カンビエ
メイク ヴァレリー・テリー=ハメル
編集 ティモ・リンナサロ
ロケーションマネージャー クレール・ラングマン
制作主任 レミー・パラディナス、マーク・ルウォフ
ラインプロデューサー ステファン・パルトネ、ハンナ・ヘミラ
製作総指揮 ファビエンヌ・ヴォニエ、レインハード・ブランディング
出演 アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、エリナ・サロ、イヴリーヌ・ディディ、ゴック・ユン・グエン、フランソワ・モニエ、ロベルト・ピアッツァ、ピエール・エテックス、ジャン=ピエール・レオ、ライカ 他

2011年 93分