『シルビアのいる街で』で世界が瞠目し、最高瞬間速度で見るものを魅了したスペインの映像作家ホセ・ルイス・ゲリン、待望の作品集。音と光の織りなす鮮烈なリアリティ、時空隔たる地平への憧憬と瑞々しいロマンティシズムがここに結晶する! ●ベルタのモチーフ Los Motivos De Berta 父の農場を手伝う田園の少女ベルタの視線を通して世界への憧れをリリカルに描く。同国の巨匠、エリセやブニュエルにも列せられる優れた処女作。118分。 ●イニスフリー Innisfree ジョン・フォード監督の『静かなる男』の舞台への紀行を劇映画の手法で描く。映画愛の賜物となる一編。108分。 ●影の列車 Tren De Sombras 1930年のある朝、忽然と消えたアマチュア映画作家が残したフィルムを復元し、家族の秘密を幻視していく。深遠な喪失のロマンに震撼すら覚える82分。 ●工事中 En Construccion バルセロナの歴史地区エルバラルの大規模再構築現場を記録。街の変貌を優しく過去と未来を重ねていく。繊細かつリアリストの一面を示す社会派の傑作。133分。 ●シルビアのいる街の写真 Unas Fotos En La Ciudad De Sylvia あの傑作の構想ノートであり、ゲリンの内面に迫ったデッサン集ともいえる美しい掌編。67分。 ●シルビアのいる街で Dans La Ville De Sylvia 6年前に愛した娘を求め古都ストラスブールをさまよう青年。聖堂の鐘、雑踏の足音、列車の到着……音の響宴に交錯し美少女図鑑のように現われる女性のモチーフ。いやがおうにもイメージは増幅していく。21世紀を先駆ける名作。86分。 ●ゲスト Guest 映画祭で世界中を訪れたゲリンが行く先々の都市で胸中にしのびこむ孤独と憂愁を描き出す。133分。 ●メカス×ゲリン 往復書簡 Correspondencia Jonas Mekas-J.L.Guerin 日々の揺れる感情を写しとる前衛映画作家ジョナス・メカス。かつてのリュミエールにならいヴィデオカメラを片手に世界を放浪するゲリン。2人によって連句のように紡がれる映像。魂の交流が見るものの思考を快く刺激する。99分。 9月_ホセ・ルイス・ゲリン映画祭 仁藤由美(スタッフ) 暑い日が続いていた8月、PROJECT FUKUSHIMAから人々の間を経て巡ってきた紙袋を受けとる。中身は几帳面に四すみを合わせて折りたたまれた、広げるとドア一枚分位の大きさのパッチワーク。ドキュメンタリー映画『プロジェクトFUKUSHIMA!』(監督 藤井光)の中で、原発事故後、まだ高放射線量の福島に持ち寄られ緑の芝生に広げられ縫い合わされていた「大風呂敷プロジェクト」の作品である。よく見ると5箇所に鳩目があり、紐を通せばカーテンとして日よけ、目隠し、あるいは旗のような掲示物として使用するための穴なのだと思われた。生来、不器用なせいか、それが何であれ手工芸品を手にすると理屈ぬきに頭が下がる。 大風呂敷の使い方という予期せぬ夏の宿題を抱えこんだ8月最後の日、名古屋でPROJECT FUKUSHIMAの活動を支援してきた岩田舞海さんと偶然会い、ふと尋ねると彼女も大風呂敷をゆだねられ、9月に開催される当館のドメイン商店街連盟主催のイベントである今池フレイバーにて展示し、今年お亡くなりになった母上の手芸用ビーズを縫い込むのだという。その場で、ぜひ私の宿題もやってください! と軽やかに解決した。震災/原発事故/パッチワーク/旗/ご母堂のビーズ、なんとも支離滅裂な、このコンテクスト! だが、つながりにくい日々の文脈を埋め合わせるために編んだり縫ったりの手芸もあるか、と久々に裁縫バコを出してくると、足元に飼猫が寄ってくる。丸くかわいく膨らんだ針山のような頭のてっぺんについつい針を刺したくなる誘惑が、おそろしい。 今池フレイバーの前日、9月15日から当館で公開が始まる『ベルタのモチーフ』('83)という、手芸作品のようなものを想像させてしまう題名作品もあるホセ・ルイス・ゲリン映画祭について。『シルビアのいる街で』(2007)で知られるスペインの映画監督J・L・ゲリンの初公開7作品を含む特集上映だ。 『シルビアのいる街で』は、フランスのストラスブールで6年前愛し合った女性シルビアの面影を求めてさまよう青年のお話。6年前に愛し合った? 一体どういうことなのか。一回きりなのか? アドレス交換は? フェイスブックも既にあったはずなのに。もし青年がひとり旅でなかったら、連れの友人から繰り出されているはずの問いが、あたかも映画という形式から脱線させられたかのようにおそいかかる。 陽光にまぶたを細め、雑踏からたちのぼってくる女性の靴音に耳を澄ませ、ストーキングめいた怪しげな捜索に没頭する主人公の確信と奇妙な余裕。曖昧さと真実の間で振れているように、位相を交互して表れてくる音響と映像。それ自体が我々の記憶の存在に重なる。この瞬間にも現在の自分が増幅し塗りかえ上書きし、つくりだす記憶に。 何度見ても、美しく、瑞々しく、楽しい。そして、正しい物事が、あっさりと示される。ゲリンが敬愛する小津安二郎やジョン・フォードを歯切れよくそう言えるように、ゲリンの作品にも強靭な身体の男性がつくった手工芸のたまものである印象は系譜する。にもかかわらず、作家が50歳に近づいた頃の『シルビア……』によって日本でも知られるようになったのは、不思議と遅い。『動くな、死ね、甦れ!』の監督ヴィターリー・カネフスキーもよく50歳デビューといわれるが、ゲリンのように10代から制作を続けていたわけではない。ゲリンの秘蹟は、美しく、瑞々しく、楽しい印象に加えて、カメラや録音、編集や音響装置の存在をたえず意識させてしまうメタフィクションの構造を追い求めるエクスペリメンタルなその傾向である。『シルビア……』において、王子様の容貌をした主人公が、記憶という装置のからくりを通さなければ、いびつなモンスターにすぎないことと調和できる時期が今、ゆるやかに到来したのだと思う。 驚かされるのは『影の列車』('97)や『工事中』(2001)などの詩情豊かな傑作にも、揺るぎのない現実をつい見直させてしまうような、緻密でありながら実はカメラと音と人物がつくり出すシンプルな仕掛けがある。ドキュメンタリーでもフィクションでもないというと、モキュメンタリーというマヌケな名称のアレになるのだろうか。だが、奇形でありながら、どの作品も閉じることなく見る者を広々とした明るい場所へと運んでいく。その場所こそ、ゲリンの正統のあかしなのだ。まばゆい映像の嘘を、発見に富むこの特集で堪能ください。 |
2012
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