1月24日、新作撮影中の事故でテオ・アンゲロプロス監督が逝去。享年76歳。激動するギリシャ/バルカン半島の紛争と政治経済に翻弄される人々を、文明の廃墟を巡る神の視線にも似た壮大なロード・ムーヴィで描き出した。ヨルゴス・アルヴァニティス(撮影)、トニーノ・グエッラ(脚本)、エレニ・カラインドルー(音楽)らと共に創り出された唯一無二の映画体験となる珠玉の作品を1970〜90年代からよりぬいた傑作選。 ●旅芸人の記録 O Thiassos 古典劇を上演する旅回り劇団の年代記に、ナチス占領、イギリス軍進駐、内戦時代から本作制作時の軍事政権へとギリシャの国民弾圧の歴史が重なる。ほとばしる怒りと悲しみの熱さは他を圧倒しカンヌで国際批評家大賞授与。その名を世界に知らしめた。232分。 ●霧の中の風景 Topio Stin Omichli ドイツへ行った父の幻影を追い、11歳と5歳の姉弟はアテネ駅から国際急行に乗る。フィルモグラフィ中でも白眉となるイノセンスが凝縮する。ヴェネチア映画祭銀獅子賞。125分。 ●ユリシーズの瞳 To Vlemma Tou Odyssea 世紀初頭の映画作家マナキス兄弟の未現像フィルムを探すうち、セルビア、戦火のボスニア・ヘルツェゴビナと世紀末の荒廃の渦中へ踏み込む映画監督(ハーヴェイ・カイテル)。カンヌ審査員特別大賞授与。177分。 アンゲロプロスはどこへ行こうとしていたのか 井戸 敬一(会員) 優れた映画を観るとき、それはいつも私たちに、その作者が生きた時点における「今、ここ」の姿を伝えてきます。そして作者が一本の映画に記した「今、ここ」をめぐる思考の痕跡は、それが過去のものとなった後も、時を経てそれを観る者の「今、ここ」を揺さぶり続けます。 1979年の『旅芸人の記録』日本公開以来、今年1月の衝撃的な撮影中の事故死まで、テオ・アンゲロプロスの映画は、日本のアート映画の観客にとって、そうした優れた映画表現の一つの規範であり続けてきた、といえましょう。アンゲロプロス作品はいつも祖国ギリシャに生きる人間と、その苦難の歴史を全身に引き受け、しかも常にその時点の「今、ここ」と格闘することで1作毎に自己更新を続けてきた。その意味で、今回当館で上映される3作は、20世紀後半の四半世紀におけるその「更新」の過程を体感する、格好の機会となるでしょう。 まず1975年製作の『旅芸人の記録』の時代、世界は未だ冷戦のさ中にあり、軍事政権下だった小国ギリシャは米ソ2大超大国に揺さぶられ続ける存在でありました。公開時日本の批評家を驚かせた、複数の時制を一つの場面内に共存させるワンシーン、ワンカットの手法、そして1939年から1952年までの時間を円環状にループさせる歴史観は、今から思えば、大国の狭間から逃れられないギリシャの重苦しい(当時の)「現代」を反映する表現でもありました。 しかしその歴史観は、1988年製作の『霧の中の風景』で変容していきます。同作には『旅芸人の記録』の旅芸人たちが再登場し、前作の台詞を虚空に響かせますが、映画の主人公となる幼い二人の姉弟はそこを離れ、悲痛な経験の数々を経つつも最後は「希望の樹」に辿り着く。冷戦終結直前の時期に撮られたこの映画には、まだその終結の先に歴史の円環を出られるのではないか、という仄かな「希望」が感じられます。 そして1995年製作の『ユリシーズの瞳』では、その「希望」が再び霧の中に沈んでいった数年後の世界が描かれる。冷戦終結が新たに呼び覚ました「民族」の対立が恐ろしい戦乱に発展した旧ユーゴを舞台に、「バルカン半島最初の映画」のフィルムを求めサラエボへ向かう主人公の映画監督「A」(ハーヴェイ・カイテル)の姿は、今から思えば「イデオロギー」や「民族」の問題が浮上する以前の「始原の映像」に立ち返って再び20世紀に向おうとするアンゲロプロス自身の投影であったのでしょう。 そうした一つの「決意表明」としての『ユリシーズ』を経て、新世紀後のアンゲロプロスは、「エレニ三部作」でそれまでと違うアプローチで再び20世紀に挑みます。第1部『エレニの旅』では、それまでの複雑な時制の交錯を廃したクロノロジカルな構成に沿って、ロシアから孤児としてギリシャへやってきた一女性エレニの流転の人生に20世紀前半のギリシャの歴史を重ね合わせ、悠々たるリズムの中に、ギリシャの大地にあって、そのどこにも居場所を持てぬ故郷喪失者たちの運命に思いを馳せます。 日本未公開の「三部作(トリロジー)」第2部『時の塵』(The Dust Of Time)は、筆者は既に観ているので、少し紹介しておきましょう。20世紀後半を描くこの第2部では、全編ギリシャの地を離れなかった第1部と逆に、当のギリシャの地は舞台とならず、第二次大戦後各国に散らばった亡命者たちの姿が描かれます。前作で政府によって投獄されたエレニは、本作冒頭では脱走して旧ソ連領内へ亡命しており、そこへ移住先のアメリカから潜入した夫が彼女を国外脱出さすべく迎えに来ますが脱出は失敗し、エレニは逮捕されシベリア送りになります。逮捕直前の束の間の再会時に宿した息子とは3歳で生き別れとなりますが、この息子は後にアメリカで成長し、映画監督「A」(ウィレム・デフォー)となります。 映画はローマのチネチッタで母の後半生を巡る映画を構想するAの現在と、1970年代に解放されシベリアからアメリカへ渡るエレニとその夫らの人生を交錯させ、最後に両者は20世紀末のベルリンで一体化します。そしてベルリンの地には、Aの娘で家出し行方不明となった「二人目のエレニ」が同地の「不法占拠者」の許に身を寄せている。恐らくあの事故死の際撮影中だった次作は、この「21世紀のエレニ」をめぐる物語であったものと思われます。 |
2012
|