サタジット・レイ監督デビュー60周年記念
『チャルラータ』と『ビッグ・シティ』上映に寄せて
   安藤真也(サントゥール奏者)

 ベンガル(インド)ルネサンスの偉大な詩人ラビンドラナート・タゴール(1861~1948)原作「壊れた巣」を基に映画化した傑作『チャルラータ』の監督・巨匠サタジット・レイの2作品がシネマテークで上映されるにあたり、この評論を書かせて頂けるご縁に感謝です。

 私はインド古典音楽の奏者で、毎年数か月をインドで音楽を学び演奏し生活している者としての知識しか持ち合わせていませんが、多くの方がこの映画を観る際に少しでも楽しむ為の材料になれば幸いです。

 イギリス植民地時代からベンガルルネサンス時代のインドの変化に触れていきます。

 1858年インドはムスリムのムガール帝国が滅ぼされイギリス統治下になりました。しかしムスリムの人々が皆殺されたり奴隷にされたわけではありませんでした。時代を遡ると、同様に1550年代にはムガール帝国がインドを制圧。その時ヒンドゥー教徒の人々はどうしていたかというと、殺されたり財産を失った人も中にはいたでしょうが、ニッザム・ウディンというムスリムの指導者がヒンドゥーを追い出すのではなく共生を訴えた為、大半の人が共存してゆきます。そしてニッザム・ウディンの弟子の詩人アミール・フスローにより、両方の文化が融合し、私が演奏しているインド古典音楽も宮廷音楽として芸術開花していきました。

 その数百年後、イギリス統治されたインドは1877年インド帝国となりイギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝に。この時インドの人々は、政権を奪われ様々な搾取をされるという状況に置かれました。1912年イギリス領の首都がコルカタからデリーに移されます。イギリス統治下のコルカタは大都会にもなりましたが、政権を奪われ搾取され続ける事に不満が増大してゆきます。ラビンドラナート・タゴールの父やサタジット・レイの父の様な上位カーストのバラモンという知識人達は社会運動・宗教運動組織「ブラフモ サマージ」の会員でした。この組織はラーム・モーハン・ロイ(1772~1833)により立ち上げられます。ラームはイギリスに渡航し同地で客死しています。ブラフモ サマージとは「宇宙の至高精神を崇拝する人達」という意味を持ち、形の無い神を崇拝するヴェーダーンタの一派アドワイタの考え方です。インド人としての誇りを取り戻そうと強く生きる現れだったのでしょう。

 1919年、ついに政治が動き出し、マハトマ・ガンディー(1869~1948)による非暴力不服従運動が始まりました。非暴力不服従は無抵抗主義ではないので、次々とイギリス人に暴力を受けるインド人の映像をご覧になった方も多いでしょう。私も初めはその行動に戸惑いを覚えましたが、インドの宗教・哲学からその答えを見出せます。カルマというものがあり、それは暴力を受け暴力を返すとまた返され、そのサイクルは止まること無く続く。どうすればそのカルマを断ち切れるかというと、非暴力不服従であり、さらに敵対してくる人を愛することが真に自分の傷ついた心を癒すことが出来るのだと。ガンディーやタゴール、サタジット・レイ達の様なバラモン階級の人達はそれを理解していたのだろうと、『チャルラータ』を観て感じました。

 『チャルラータ』という作品からは、人と人の心模様、とても繊細でありながらとても強い心を持ち、他人を深く愛し、そして許し、決して自分の損得で左右されないインド人の気高さを感じ取ることができます。

 『ビッグ・シティ』は、インド共和国が設立された1950年頃のコルカタが舞台です。女性は家の仕事だけをする事が当り前のインドが変化していく象徴的な題材で、その後ニューデリー、ムンバイ、コルカタは世界的な大都市となりました。

 さて、この2本の映画の中の音楽についても少し。『チャルラータ』では、多彩な旋律(ラーガ)が強く感じられるインドのフォークソング、古典音楽のドゥルパットやカヤールが使われているので、是非甘美で情緒深いラーガを堪能して欲しいです。『ビッグ・シティ』では、ラーガを使いながらも西洋からの影響を受けたインドの映画音楽が使われています。両方共当時の最先端であり、そして今も尚、世界的に稀有で輝き続ける音楽です。

 サタジット・レイの作品を通してインドの深い美しさに触れて頂ければ嬉しいです。

 


 

安藤真也インド古典音楽
サントゥール公演「神々の色」

名古屋 11/14(土)
 会場:Spazio blu
  14:00〜 19:00〜 (入替制)
【同時開催】(11/13〜16)
  直井保彦写真展「水と神々の色」
四日市 11/6(金)
 会場:カリー河 19:30〜

http://rabitrecords.com/
 (ラビットレコーズ)