『ひそひそ星』園子温監督に聞く
──久しぶりに名古屋シネマテークで公開になりますね。
帰ってきた! って感じだね。
──20代の頃に書かれたオリジナル脚本ということですが、まずは当時のことから。
25年前ベルリン映画祭に行って、A・ソクーロフとか新しい映像作家の作品と出会い、衝撃を受けたんですね。自分も世界に出して恥ずかしくないような、しっかりした映画を作らないといけない。まるごと新鮮な、見たことの無いような映画を作ろう。それも、一目見て園子温だと分かるスタイルを一気に作っていこう。生意気にもそう思って書いた脚本です。当時、もしこれが出来ていれば、僕は静かな映画を作る人になって、まったく違う映画人生を歩んでいたかもしれません。結果うまくいかなくて、『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』の過激な監督って方が前に出たけれど。
──そういう意味では、今回シオンプロダクションの第一回作品ということで、名実共に再出発と言っていいかもしれませんね。
その通りです。
──同時に、冒頭にはかつての園監督のプロダクション名「アンカーズ」のクレジットもあります。
アンカーズはもう無いんだけれど、『ひそひそ星』には、その名を刻んでおきたくて。
──昨年は、監督作品が4本も公開されましたが、本作はそのどれとも異なる印象です。
まず何よりもオリジナル脚本ということが大きい。昨年の公開作は『ラブ&ピース』以外は全部雇われ仕事です。来る仕事は拒まずという三池崇史先輩の精神を自分も見習ってみようと(笑)。でも、いざ撮影に入ると、やっぱりやりたくないものは、やりたくなかった……こういうことをやっていてはダメだと気づいて、もう原作ものはやめると決めました。時間はかかるけれどオリジナルでいく。『ひそひそ星』は、そう考えるきっかけになりましたね。
──近年の作品の中では、ストレートで分かりやすい要素が少ないようですが。
一言で言い表せないくらい色々なものがつまっていて、3つも4つもテーマが折り重なっているような作品ですから。ここで僕が、こういうふうに見て下さいというのは勿体ない。
ひとつだけ言うと、宇宙船が日本家屋風になってますよね。あれは、脚本を書いていた当時僕が住んでいた貧乏アパートのイメージなんですけど、何故そうしたかというと、みんな今ここにいながらにして宇宙人だってことなんですよ。“地球人”なんて我々は言ってますけど、それは勝手に名前を付けただけでね、宇宙に浮かんでる惑星に生きているという意味では宇宙人なんです。それをどう表現しようかとなったときに、宇宙船の内部を完全に日常的なものにして、爪を切ったり、お茶を入れたり、日常の雑事で日々が過ぎていくというようにやってみようと思ったわけです。
25年前に脚本を書いた園子温のことを、僕は“彼”と呼んでいるんですが、彼は膨大な絵コンテも書いたんですね。それを見ると、日常的な雑事をかなり複雑な撮影方法で撮ることになっている。ただ掃除しているだけのシーンでクレーンを使ったりとかね、世界でも例がないでしょう(笑)。面倒だけど、そうしたかった彼の気持ちも分かるので、極力コンテ通りに撮りました。
──主人公が荷物を配達する星の風景は、福島県の富岡町、浪江町などで撮影されています。福島での撮影は『ヒミズ』『希望の国』に続いて3本目ですね。
使命感でやっているのではなくて、1本撮ると、何かこぼれてしまったものがあって、またもう1本と続いている感じです。
『希望の国』の後に思っていたのは、無人の街に風だけがヒュ~と吹いてる、そんな福島の風景だけを撮影して、風景に何かを語らせることはできないかってことでした。それで25年前の絵コンテを見ていたら、描かれている風景が今の福島にそっくりだったんですね。これは撮りたかった風景の映画に成り得ると、自分の中で繋がったんです。
──主演は、パートナーでもある神楽坂恵さんです。
実は『ひそひそ星』は、タイムカプセルに入れて、未来の人に向けて配達するはずの映画だったんですよ(笑)。つまりスーパープライヴェート・フィルムでもある。だから当然、主演は他人には頼みたくなかった。それと『希望の国』でお世話になった福島の人たちに出演してもらって映画を作れたことが、すごく幸せだった。とにかく、自分が撮りたくないと思ったものは1ミリも入っていない、撮りたいものだけで出来ている映画です。そういう映画が作れて、とても良かった。
(2016年4月28日の記者会見より。構成・文責=編集部 協力=日活、シー・ワークス)